最近のお知らせ

<11/27>ならナビコーナーに「数学科苦手克服特別プリント
      (単元別)」を設置しました。中間テスト勉強にも
      ぜひ活用してください。
      ※ならナビ電子版も更新しました。ダウンロード可。
      
<11/27>12月の献立を更新しました。
<12/1>保健だより(12月号)を更新しました。
 
【学校教育目標】
「世界を小とせよ」奈良中生
 ○知性をみがく生徒(知)
 ○愛情深き生徒  (徳)  
 ○体を鍛える生徒 (体)  
 
<目指す生徒像>
か・・・考え、判断し行動する生徒     
  「時を守り・場を清め・礼を正す」   
し・・・失敗を恐れず、挑戦する生徒  
  「意気高し」(校歌より)
こ・・・困難にくじけない生徒           
   「負けじ魂」
い・・・生命を大切にする生徒
  「
深き愛情」(校歌より)

<募集>生徒のみなさん御協力よろしくお願いします。
 

<祝・受賞>
 中学生の税についての作文 
  大里地区租税教育推進協議会長賞  髙橋 葵さん
 

<決定>
 筝曲部・東日本優秀演奏発表会
 12/25(月)11:55~
 
 
カウンター
ようこそ奈良中HPへ!896223
令和5年度HP訪問者    137320
 ※今年度の訪問者が130,000人を越えました(11/25)
本日の訪問者457
今後の予定
<12月の予定>
 4~ 8日 後期人権週間
 5日(火) 人権集会
 6~12日 三者面談(全学年) 
 6~15日 校長面談(3年)
 9日(土) くまなびスクール
11日(月) プロ野球選手来校
       (広島東洋カープ・坂田選手来校予定) 
13日(水) 専門委員会・登校指導日
16日(土) くまなびスクール
19日(火) 学年朝会
21日(木) 給食最終日
22日(金) 授業最終日(給食なし・4時間授業)
       全校集会・学年集会
       通知書配布(3年)
23日(土) くまなびスクール
25日(月)~冬季休業日(1月8日まで)
<1月の予定>
 9日(火) 授業開始日(5時間授業)
       給食開始、全校集会
11日(木) 検証問題テスト(2年)
       Open and Distance Learning(1年)
12日(金) 第3回中三テスト
14日(日) アルミ缶回収
17日(水) 専門委員会・登校指導日
18日(木) 公立高校入試web出願日
19日(金) 新入生説明会・安全点検日
       私立高校入試直前指導(3年)


R5年間行事計画はこちら
 
新着情報
 
熊谷の子どもたちは、これができます(4つの実践・3減運動)
 
 
奈良中安全マップ・交通事故防止について
<奈良中安全マップ(こども110番の家)>
 全体図 東部 西部 北部

<埼玉県 交通事故防止5つの行動
 
 
本校ホームページの著作権について
<本校ホームページの著作権について>
◆熊谷市立奈良中学校ホームページに掲載されている
 記事、写真、図画、そのほかのデータ類の著作権は、
 熊谷市立奈良中学校及びその情報提供者に帰属して
 います。

◆そのため、これらのすべてについて、著作権法で定
 められている「私的利用のための複製」や「引用」
 などの場合を除き、熊谷市立奈良中学校長の許可・
 承諾を得ずに、他のメディア等への転載・引用、及
 び改変等を行うことはお断りします。
 
校長あいさつ
                  校長 松永 哲 
  本校は、昭和22年に開校し、今年が77年目となります。
  これまでの良き伝統を引き継ぎ、校歌に歌われるように、「知
 性をみがき」「愛情深く」「体を鍛える」いわゆる、「知・徳・
 体」のバランスのとれた教育を行い、学校教育目標である「世界
 を小とする奈良中生」を育成してまいります。
  その土台となる「熊谷の子どもたちは、これができます!『4
 つの実践』と『3減運動』」を、学校、家庭、地域が一体となっ
 て、大人が手本となって進めてまいりたいと存じます。ご支援・
 ご協力をよろしくお願いいたします。

 
 
 
校歌・校章
【校歌】
 


【校章】
 

  開校2年目に、当時の中学生からデザインを募集しました。中
 学2年生の「富岡冨美子さん」の応募した作品が現在の校章とな
 っているそうです。
  楢の木の葉、三枚をかたどり、それぞれの葉は、
『敬』『愛』
 『和』を示すものだそうです。

 

  奈良中の校旗は、昭和39年に初代が作成されました。写真の
 2代目は、平成20年3月にPTAより寄贈されました。
 
R5学校要覧
 
奈良中について
<本校舎パノラマ>
 
       【R5.11 本校舎改修工事完了】

 

<奈良中のマスコット「ならっきー」>     
       

<石坂 養平氏について>
 本校の学校教育目標となっている「世界を小とせよ」は
 地域の偉人・石坂養平氏の言葉です。氏を紹介します。
    
 〇 熊谷市中奈良出身。明治・大正・昭和を通じ、文芸評論家、政治家そして
     実業界に活躍。戦後は政界を退き、社会文化の向上に尽くした。

 〇 1885年(明治18年)1126日 埼玉県大里郡中奈良村(現:熊谷市中奈
        良)に生まれる。
奈良尋常小学校(現:奈良小学校)、幡羅高等小学校、熊
        谷中学校(現:熊谷高等学校)、第二高等学校を経て、1906年(明治39年)
        に東京帝国大学理学部に進学したが中退。1910年(明治43年)に同文科大学
        哲学科に再入学した。「帝国文学」の「新自然主義の誕生」や「鈴木三重吉
        論」により、中央文壇に文芸評論家として認められた。

 〇 父の死により郷里に帰った後も、1922年(大正11年)頃まで「文章世界」
       「早稲田文学」「新潮」「中央公論」「日本及日本人」等に評論・随筆を発
       表し続けた。特に「有島武郎論」で、有島武郎と論戦を展開したことは有名
       である。

 〇 大正の後半に入ると政界に進出した。1920年(大正9年)埼玉県会議員に
       当選し、1922年(大正11年)には埼玉県会副議長に就任した。1928年(昭
       和3年)衆議院議員に初当選、通算四期在職した。

 〇 政界への進出と同時期に、地元の産業組織の役職に就任し、次第にその活
       動範囲を地方から中央へ、農業から他産業へと拡大していった。

 〇 奈良村農会長、奈良村信用販売購買組合長、大里郡乾繭販売利用組合長、
       大里郡農会長、大里郡養蚕業組合連合会長、埼玉県養蚕連合組合長、全国養
       蚕業組合連合会副会長、大里郡農業保険組合長、埼玉県農業保険組合長、大
       里郡社会事業協会長、大里郡青年団長、埼玉県少年団長などを歴任。武州銀
       行監査役、埼玉銀行取締役にも就任している。
 〇 太平洋先生終結後は政界を離れ、社会の文化的向上に尽力した。県文化財
       保護審議委員、県社会教育委員、県公安委員を歴任し、地域の発展に尽くし
       た。

 〇 また、地域の学校の校歌の作詞や記念碑などの碑文の大事を数多く手掛け、
  奈良中学校をはじめ、奈良小学校、大幡小学校、大原中学校、別府中学校、
  熊谷東中学校、妻沼西中学校、妻沼東中学校、熊谷高等学校の校歌を作詞し
       た。

 〇 1962年(昭和37年)には熊谷市名誉市民、1965年(昭和40年)には勲二
  等瑞宝章を授与された。

 〇 1969年(昭和44年)816日死去。同29日市民体育館で市民葬が行われ
  た。墓所は熊谷市下奈良の集福寺。享年83歳。
       <「埼玉人物事典」(埼玉県教育委員会編)1998年を一部改変>